夏休みの思い出 IV
皆さま
本日はここ 上野最終日は 没後50年記念となるエコール・ド・パリの異邦人「藤田嗣治」展覧会に来ております
1週間も前からTSUTAYAに走り 雑誌を買い A4サイズがらくらく収まる付録のトートバッグに酔いしれ…✨
朝も8時から 相変わらず広大な上野公園内をそぞろ歩きながら…✨
やっと…!さまざまな芸術の潮流が渦巻くモンパルナスに居を構え ピカソを始め 私が生涯愛して止まないモディリアーニやスーチンなどの多くの芸術家と関わり合いながら 創作活動に取り組んだ あのFUJITAに 逢えます✨
そんな2018年は 没後50年にあたります
FUJITAが活躍したエコール・ド・パリの時代は 一体どのような時代だったのか…
また 現代の我々の興味を引いて止まない藤田嗣治の作品の軌跡を共に辿ってみましょう✨
FUJITAと言えば「乳白色の下地」
1920年代 当時日本で売られていたベビーパウダー、シッカロールに含まれる「タルク」を キャンバス全体にふりかけ 下地に馴染ませることで その表面の油を取り去り 日本的な墨での筆書きを行いました
このタルクこそが FUJITAの生涯を支え その代名詞ともなった乳白色の絵に 更なる魅力と輝きを与えることになったのは言うまでもありません✨
また FUJITAを語る時…切っても切れない存在が 彼を取り巻く女性たちです
実に 単身渡仏した彼は フランス人女性との出会いや別れを繰り返します
彼女たちは そんなFUJITAにとって 時に教師だったり 心の支えだったり…
FUJITAは生涯に5回の結婚をします
最初の妻は 渡仏前の日本人女性 登美子さん
二度目の妻は 約7年間支えた先輩画家にもあたるバレエさん
三度目は 肌の美しかったフランス人女性ユキさん
乳白色の下地を生んだのが この時代といわれています
四度目の妻になるのは 同じくフランス人女性のマドレーヌさん
こちらは わずか6年ほど…ユキさんと同じアルコールやドラックに溺れ 急死しています
そして最後の奥さまは 日本人女性の君代さん※上記写真(右)
数多の女性遍歴を持つFUJITAですが 最後に選んだのは 献身的に仕えてくれた日本人女性でした
尚 FUJITAを巡る女性たちの中で 忘れてならないのが FUJITAの成功の出発点となったモデル・キキの存在だそう
※本名アリス・プラン「モンパルナスのキキ」と呼ばれアイドル的な存在でした
FUJITAとキキは 男女を超えた美しい友情で生涯結ばれていたようで 51年の生涯を閉じた埋葬にも立ち合うその姿は 写真にも残されています
日清戦争 日露戦争 第一次世界大戦 そして関東大震災…
実に 戦争を背負って生き抜いて画家と言えるのではないでしょうか
後に FUJITAと同時期をパリで過ごしたシャガールは 当時を振り返り こう話しています
「あのとき 芸術の太陽はパリだけを照らしていた」と…
さて…如何でしたでしょうか
エコール・ド・パリの異邦人「藤田嗣治」
私なりのつたない解説ながらも 少しは触れることが出来ましたでしょうか✨